プロフィール

はじめまして
晴子と申します。

私のブログへお越しいただいてありがとうございます。

ここでは、私がピアノを習い始めた子供のころから
色々な経験をする中で、ピアノに対する想いは変化していき

子供たちの笑顔をたいせつに、
心育むピアノのレッスンをするようになった現在に至るまでのお話をします。

習い事の1つだったピアノが
いつの間にか、私の生きる力にまでなっていました。

そして今、私はたくさんの生徒たちに囲まれています。

辞める生徒はほとんどいなくなり
受験でいったんお休みしても戻ってきてくれるようになりました。

大学生になった生徒が発表会を手伝いに来てくれたり
結婚した生徒が子供の顔を見せに来てくれたり
コンクールに出ている1部の生徒が全国大会まで進んで入賞したりと
気付けば、とても恵まれた環境になっていました。

ピアノに携わっている方だけでなく
沢山の方の生きる力になりますように
ここに至るまでの私の歩んできた人生の物語を振り返って
想いを込めてお伝えしようと思います。

どうぞお付き合いください。

ピアノとの出会い

幼稚園に入った頃
初めての習い事として何をしたいか母から尋ねられて
「ピアノ!」と答えたのがピアノとの出会いでした。

ピアノの先生は近所のお友達のお母さんだったので
お友達の家に遊びに行く感覚のまま
ろくに練習もせずに
将来、自分がピアノ教師をしているなんて想像もできないほど
ダメな生徒でした。

ゆる~く続けて、小学校高学年になり
突然、伯母のすすめでピアノの先生を変わることになりました。
あまりにも出来の悪いまま6年生になった私を
伯母が見かねたのだと思います。

この時の先生との出会いが今の私につながることになります。

恩師との出会い

6年生までゆる~くピアノを弾いていた私
すべてやり直しでした。
椅子に座るところから
姿勢、指の形、楽譜の読み方に至るまで
本当にすべてがやり直し。

今ではありえないほどの厳しいレッスンに絶える日々の始まりでした。

教わったことが次のレッスンまでに出来ていないと
先生の怒りの声とともに愛のムチが飛んできますから
必死で練習しました。

背中をどんと押されて譜面台に頭をぶつける
弾いている手を払い落とされて怒られる
今の時代そんなことをしたらすぐに問題になってしまいますが
当時は何の問題もないことでした。
必死で先生についていきました。

なぜそんなにも厳しいレッスンに耐えられたのかというと
どんどん上達していくのが感じられて、
それがうれしかったからです。

それに、先生が愛情をもって教えてくださっているのを感じでいたからだと思います。

この時に一から叩き込まれた知識は今の私の中にしっかり根付いて
レッスンの中で生かされています。

どんなに幼い子にも大切な基礎からしっかり教えていきます。
座り方、姿勢、指の形、楽譜の読み方
それが生徒たちの将来の宝になるのを身をもって体験させてもらいましたから。

指が速く動くようになり
音色を弾き分けられるようになり
ピアノを弾くのがどんどん楽しくなっていきました。
ピアノは何となく続けていた習い事から
一生懸命に打ち込む習い事に変わっていました。

音楽大学を目指すようになり
ピアノは音大の先生に教わることになりましたが
受験科目であるソルフェージュや楽典など
合格するまであらゆるフォローをしていただきました。

この先生との出会いがなければ今の私はいなかったと思います。
私も生徒たちにこう思われたいものです。

ピアノの先生デビュー

無事に音大生となった私は
入学と同時にグランドピアノを買ってもらいました。

今は音大を受験するとなると同時にグランドピアノを用意するようですが
私が音大生になったバブルの頃は、
消費税になる前の物品税というものがあり(年がばれますが)
贅沢品に分類されるピアノは音大生になると免税になったんです。
なので合格と同時にグランドピアノを買ってもらうのがその当時の自然な流れでした。

グランドピアノが搬入される日
たまたま通りがかった親子に「ピアノを教えておられるのですか」と聞かれ
母が即座にハイテンションで「教えます」と答えたのを
今でもはっきり覚えています。

その親子はご近所でピアノ教室を探しておられて
すぐに習いに来てくれました。
それもお友達を連れて。

後からわかったのですが、とっても社交性のある顔の広い方で
沢山のお友達を連れてきてくれて
どんどんその輪は広がり

幸運なことに何の苦労もせずに沢山の生徒が集まりました。

この頃の私はお月謝を受けとるからにはしっかりと弾けるように
教えなければいけないし
ピアノの先生とはテクニックを教えるものだと思っていました。

なので、今のレッスンに対する気持ちとはかなり違います。

でも、結婚して子供を連れて遊びに来てくれる生徒は
この頃の子達なので
信頼関係は育めていたのだと思います。

順調に生徒が増えて一人で発表会が出来るまでになったころ
阪神淡路大震災が起こりました。

我が家は神戸でも地震の被害は少ないところでしたが
余震が長く続き、大きく揺れることもあったので
自宅のレッスンは一時お休みすることにしました。

空いた時間で震災のボランティアをしていた時に
知り合った夫と結婚する事になり
転勤族だったため、一旦ピアノ教室を続けられなくなってしまいましたが、
結婚先の広島までお小遣いをためて遊びに来てくれた生徒がいました。

知らない土地でさみしく暮らしている時に遊びに来てくれて
一緒にご飯を食べて観光してたくさんおしゃべりして
本当に楽しかったのを覚えています。

ピアノの先生をしていて本当に良かったと思えることの一つです。

全く性格の違う2人の子育て

転勤族の妻として各地を転々とする中で
子育てを通して今度は2人の娘たちの母としてピアノに携わることになりました。
私にとっては長女にピアノを教えることはちょっとした実験でもありました。

よくピアニストの経歴で3歳から〇〇先生に師事とありますが
実は私、本当に3歳からピアノが弾けるのだろうかと疑問に思っていたのです。

長女は落ち着きのあるしっかりした子でしたが
3歳では弾きたいときには弾くものの
さぁレッスンしようというタイミングと
弾きたいタイミングはなかなか合いません。

3歳半、3歳後半と何度か試しているうちに
私は娘にとってピアノの先生ではなくて、ママなんだと気付いて
他の先生に習いに行くことにしました。

ピアノを弾きたい気持ちはあっても
私が教えると甘えが出てしまうので。

この時に娘を教えてくださった先生の
リトミックをふんだんに取り込んだ幼い子を教えるレッスンのありかたは
今の私の力になっています。

長女は繊細な心の持ち主で
コツコツ目標に向かって努力する性格なのもあり
ピアノもコツコツ練習して上達していきました。

小学生ではコンクールに挑戦して
コンクールを目指す子の親の気持ちも経験しましたし
コンクールレッスンの在り方も一緒に勉強することになりました。
そして大学生になった今でもピアノを続けています。

もう一人の娘、次女は天真爛漫な性格の活発な子です。
自由奔放で型にはめられることを嫌がるので
ピアノは向かないと思いきや
ピアノの先生の娘で
姉はコンクールで入賞する腕前となると
自分ももちろんピアノは弾きたいと言い出しましたが
何せ自由人
この子はよその先生にお預けできず
自分で教えました。

だって、気が向いた時にしかやる気はおこりませんから。
それに弾きたい曲以外は弾きたくなくて
楽譜を読むなんて嫌。

型にはめられるのを嫌がる
自由奔放な子にピアノを教える術を
試行錯誤することになりました。

この時の経験も今のレッスンに大きく役立っています。
生徒が気が向かないやら眠いやらで、
どんなに駄々こねても逆らっても大丈夫!
だって次女で経験済みですから。

順風満帆なピアノ教室の裏に・・・

長女が小学低学年
次女が幼稚園の頃に
幸運にも夫の転勤で地元神戸に戻ることが出来ました。

その頃に次女のお友達がちょうどピアノを習い始める年齢なのもあって
教えてほしいと頼まれたのをきっかけにピアノ教室を再開。
ピアノの生徒は順調に増えていきました。

そうすると何やら今までの生徒と様子が違いました。

ピアノの椅子ではなく私のお膝に座ろうとする子
「ただいま~」って言いながら入ってきて
学校であったことを話し始める子
悩み事をうちあけられたり、反抗期を出す子までいます。

母になってからはじめてピアノを教えるようになり
生徒に対する気持ちが、我が子同様に可愛くて仕方ない自分に気付きました。

母の気持ちで接していたら
まるでみんなのお母さんになっていました。

今までとは何か違う信頼関係をはぐくめている実感の中
順風満帆に発展していくピアノ教室とは別に
大切な娘たちがいろいろな困難にぶつかりはじめました。

ピアノのレッスンは娘たちが学校から帰ってきてからのお仕事です。
よく家にいてお仕事が出来ていいわね
と言われますが、いいことばかりでもありません。
世間一般の母たちの働き方とは逆の時間帯でのお仕事ですから
娘たちに「おかえり」を言ってあげられないんです。

毎日教えていたわけではない頃は
レッスンのない日には「おかえり」からはじまって
娘たちのお友達を家に招いたり、一緒に過ごす時間も多くありましたが
ピアノ教室は順調にどんどん生徒が増えて忙しくなっていく一方で
娘たちとの時間が少なくなっていくのが気になり
教える日をこれ以上増やすまいとすると
入学待ちをする人が出てきてしまい
どうしたものか葛藤の日々でした。

もちろん娘の様子がおかしいのには気が付きますし
話も聞きますが
本当に話したいのは学校から帰ってきてからすぐのはず。
だからといって、家庭の事情でレッスンをお休みするわけにも
減らすわけにもいきません。

娘たちが母親を必要としている時に
充分にかかわれない葛藤と闘うことになりました。

暗闇の中で気付いた大切なこと

娘たちに沢山の困難がふりかかり
荒れたり
沈んだり
学校に行けなくなったり
本当に体調を崩してしまって
病気を発症してしまったり

それはもう思い出すだけで
泣きたくなるほど
たくさんの問題にぶつかりました。

その都度、娘たちのために
私に何ができるのか
思いつく限りのことをしてきました。

もちろん他力もお借りしました。

まず、心の専門家である心理士の力をかりようと
たくさんの心理士と私自身がお話をしましたが
問題がよくなることはなく

西洋医学
東洋医学
民間療法

どこかに必ず娘たちが楽になれる手段があるはずだと思うものの
なかなか見つかりません。

本を読んだりネットで検索してみたり
色々と勉強する中で
少しづつ私の中の娘たちに対する想いが変わり始めました。

起立性調節障害という病を発症してしまった次女

(起立性調節障害とは

日本小児心身医学会のガイドライン集より
「起立性調節障害とは自律神経の働きが悪くなり、起立時に身体や脳への血流が低下する病気」です。詳しく言うと、「強い心理的ストレスなどのために自律神経の調節機構がうまく働かなくなり、自律神経機能に支配されている血圧や脈拍、血液循環の影響によって、立ちくらみなどの起立失調症状がでる状態」ということです。

主治医のHPから抜粋)

この病気は午前中に症状が強く出るため
朝起き上がれないことが多く
義務教育でなくなる高校生になると
中退を余儀なくされることが多いのです。

娘も出席日数は常にギリギリ
欠席の数がボーダーラインの1/3を越えようとしていても
起き上がれない娘を必死で起こしていた時に
ふと気付いたことがありました。

留年してしまうかもしれない
中退してしまうかもしれない

娘のために起こしているのではなくて
私自身が我が子が高校を中退してしまうかもしれないことに
恐怖を感じていて必死に起こしているということに

一番つらいのは娘自身のはずなのに
娘のためと言いながら起き上がれない子を
なんとか学校に行かせようとしている自分に気付いたのです。

本当に娘のために今、私はどうしたらよいのか
自分に問いました。

高校を中退したからってこの子の人生が終わるわけではない

大切に心を込めて愛情注いで育てた娘には
きっと生き抜く力があるはず
何があっても寄り添って支えていこう

そう思えた時に
辛い体調を思いやる言葉をかけることが出来るようになり
休ませてあげられるようになりました。

そうすると
娘自身が変わり始めたのです。

反発して荒れることがすくなくなっていき
自分の体調を整えるための努力ができるようになっていき
学校に行けるようになっていったのです。

悩んで苦しかった出来事にも意味があり
同じような状態にある人の助けとなるために与えられたもので、

この経験を生かして
私も人を助けられる人になりたいと強く思うようになりました。

音楽の持つ力

私と娘たちの経験は
実は大きな気付きを得るための学びで
この学びをきっかけに
どのように人の役に立てるような生き方が出来るのか
考え始めました。

途方に暮れて疲れ果てていた時も
どんなに辛くて大変な時も
ピアノのレッスンが始まると
疲れた重い体からスーッと何かが抜けていくような感覚で体は軽くなり
いつの間にか元気が出て
生徒たちと楽しい時間を過ごせていました。

私たち親子はピアノから力をもらい癒されてきました。
音楽の持つ力にいつも助けられてきました。

私たち親子がピアノから力をもらっていたように
1人でも多くの子供たちが音楽から力をもらって
その子をずっと支えていってくれますように

そう願ってレッスンをしていると
お月謝の範疇を越えても、生徒をフォローしたいと心から思います。
人見知りの激しい子にも、自由奔放な子にも
我が子のように寄り添うことが出来るようになりましたし
保護者の相談にも自分の経験を生かしてお話しします。

そうしていると心無いクレームを言う保護者の様子は
いつの間にか変わり
感謝の言葉をかけられるようになっていました。

生徒も保護者も笑顔が増えていきました。
辞める生徒はほとんどいなくなっていました。

私の進む道はピアノを通して
音楽の持つ力を伝えていくこと

関わった子供たちが皆
幸せになれるようなピアノ教師でありたい

楽しくピアノを習って、気付けば上手に弾けるようになっていた。
それが私のピアノ教室です。

心をはぐくむピアノレッスン

今の時代は傷つけられてしまう子も
虐待で命を落とす子も無くなりません。

1人でも多くの大人が
我が子と変わりなく
自分と関わる全ての子供たちの成長を見守る世の中になれば
途中で命を落とさなければならない子が減るのではないかと
思っています。

ピアノという習い事は幼いころから
5年、10年、あるいはもっと長い年月続ける子がたくさんいます。
こんなにも長い時間を
ピアノ教師と生徒が信頼関係を築いていくのです。

子供たちが心許せる
心のよりどころとなるピアノの先生になりたいと思い始めました。

悩み事を親に打ち明けられない子だっています。
そんな時に信頼できる大人に話せたら
きっとその子は楽になれるはずです。

そして心地よい音色を自分で奏でて癒されて
その日のレッスンを終えられたら
元気になれるはずです。

ピアノのレッスンを通して

1人1人に寄り添い自己肯定感を上げて

困難にも負けない心を作る取り組みをし

1人でも多くの子供と子育てを頑張ってらっしゃるお母様方の

お力になりたいという気持ちでピアノのレッスンをしています。

私の経験がお役に立てるのでしたら
こんなにうれしいことはありません。

私の想いが1人でも多くの方に伝わり
共感してくださる方がいらっしゃいますように
願いを込めて終わりにします。

大変長くなりましたのに
最後までお付き合いくださって
ありがとうございました。